学芸大学は、大学の名前を残す東横線の駅と、その周囲の商店街・住宅地の町です。駅は目黒区鷹番にありますが、東京学芸大学のキャンパスは1964年に小金井へ集約されました。駅名の由来をたどり、碑文谷公園の池や菓子をつくる店を見ると、学校だけでは説明できない町の歩みが見えてきます。
ここでは鷹番の駅周辺と碑文谷公園を中心に、隣接する下馬や目黒本町とのつながりも紹介します。出身・ゆかりの人物には、鷹番育ちの漫画家・根本敬さん、下馬で育ったお笑い芸人・飯尾和樹さんがいます。出生地、育った場所、仕事での関わりを分けて見ていきましょう。
町の輪郭
「学芸大学」は住所の名前ではない
学芸大学という呼び名で探すとき、まず手がかりになるのは東急東横線の学芸大学駅です。駅周辺の住所は鷹番で、碑文谷公園は碑文谷六丁目、飯尾和樹さんの育った下馬は世田谷区にあります。駅を利用する生活圏は、町名や区の境界をまたいでいます。
この記事の地図の点は、国土地理院の住所検索による鷹番三丁目の代表点です。駅の改札位置や「学芸大学」という地域の境界を示すものではありません。人口を読むときも、散歩の行き先を探すときも、駅名と住所を分けると場所をつかみやすくなります。
碑文谷公園の池は、農村の水を受け継いでいる
駅から碑文谷公園までは、目黒区の案内で徒歩6分です。公園の弁天池は、かつて碑文谷村の農業を支えた池でした。区の歴史解説によると、この池と近隣の清水池は、目黒台地の浅い谷の奥に湧いた水を集め、立会川の源流となっていました。
池の水は、風景を楽しむためだけにあったわけではありません。田畑へ水を送る村の共有財産として、名主や村人が堤や水門を守り、草を刈って維持していました。今の公園を見るときに、この水を管理する仕事を重ねると、住宅地になる前の土地の使われ方が分かります。
歴史と発展
鷹番の地名には、鷹狩りに結びつく二つの説がある
目黒区の地名解説は、鷹番という名前の由来として二つの説を紹介しています。一つは、将軍の鷹狩りのための番所があったという説。もう一つは、「鷹場」や「鷹場前」という呼び方が変化したという説です。どちらか一方を確定した由来として扱うことはできません。
同じ解説では、1927年の鉄道開通と駅の開設をきっかけに、市街化が急速に進んだとされています。農地の水を守る村から、電車で行き来する住宅地へ。駅の開業は、この転換を読むための節目です。
碑文谷、青山師範、第一師範、学芸大学——駅名は四つ
東急の社史資料によると、駅は1927年8月28日に「碑文谷」として開業しました。その後、学校に結びつく名前へと変わり、1952年に現在の「学芸大学」となります。
| 時期 | 駅名 | 町を読む手がかり |
|---|---|---|
| 1927年8月28日 | 碑文谷 | 周辺の地名を名乗って開業 |
| 1936年4月1日 | 青山師範 | 学校の名前を冠する駅へ |
| 1943年12月1日 | 第一師範 | 師範学校の名称の変化を映す |
| 1952年7月1日 | 学芸大学 | 現在まで残る駅名に変更 |
東京学芸大学の公式沿革では、大学は1949年に設置され、1964年に各分校が小金井へ集約されています。大学の所在地が変わっても、駅名は残りました。「学芸大学に行く」という言葉が、大学のキャンパスではなく、東横線沿いの町への行き先になるのは、この経緯によります。
池を残すための寄付が、公園につながった
宅地化が進むなかで、村の共有地だった池にも別の役割が生まれました。目黒区の歴史解説によると、1932年、碑文谷池と清水池は、公園用地として永久に保存することを条件に東京市へ寄付されています。碑文谷公園の開園は翌1933年11月15日です。
用水を共同で管理していた土地を、公共の遊び場として残す。この経緯を知ると、駅に近い場所に池があることを、単なる偶然として見ずにすみます。町が住宅地に変わる時期に、水辺を引き継ぐ選択があったのです。
人と暮らし
鷹番一〜三丁目には8,746人が暮らす
目黒区の住民基本台帳によると、2026年3月1日時点の鷹番一〜三丁目は、合計8,746人、5,685世帯です。外国人住民を含む町丁別の原表を合算しました。
| 住所 | 人口 | 世帯数 |
|---|---|---|
| 鷹番一丁目 | 2,654人 | 1,579世帯 |
| 鷹番二丁目 | 2,994人 | 1,966世帯 |
| 鷹番三丁目 | 3,098人 | 2,140世帯 |
これは鷹番という住所の集計です。碑文谷や下馬なども含む駅の利用圏全体の人口ではなく、2026年10月の人口を示すものでもありません。店が集まる駅前の背後に、町丁目ごとの住宅地があることを確かめる数字として読めます。
学芸大学出身・ゆかりの有名人は?
「学芸大学出身」を調べるときは、この町で育った人と、東京学芸大学を卒業した人を分ける必要があります。ここでは町との関係を資料で追える3人を取り上げます。
| 人物 | 地域との関係 | 分けておきたいこと |
|---|---|---|
| 根本敬(漫画家) | 目黒区鷹番で育った | Artpediaの略歴では出生地は渋谷区。鷹番は成育地 |
| 飯尾和樹(お笑いコンビ・ずん) | 隣接する世田谷区下馬で育ち、学芸大学周辺を地元の生活圏として語る | 下馬と鷹番は別の住所。学芸大学駅周辺で生まれたとはしない |
| 鈴木信太郎(画家) | マッターホーンの包装紙に絵が使われている | 町との仕事・作品を通じた関係。地域出身者としては数えない |
美術情報サイトArtpediaの略歴によると、根本敬さんは渋谷区で生まれ、鷹番で育ちました。同サイトは、地元の古書店で水木しげるの作品を読んだ経験も紹介しています。漫画家と町の関係を、育った場所と本に出合う場所の両方から見ることができます。成育地の記述はこの二次資料に基づき、本人の原回想までは今回確認できていません。
飯尾和樹さんは『クウネル』の2024年の取材で、下馬から学芸大学、三軒茶屋にかけての地元を紹介しています。三宿通りが通学路だったことや、蛇崩川沿いの遊歩道で遊んだことなど、駅の名前だけでは収まらない子ども時代の行動範囲が語られています。
取材に登場する飲食店「しもつけ」も、そのつながりの一つです。若手時代の飯尾さんたちを食事で支えた当時、店があったのは品川。その後、学芸大学へ移りました。昔から同じ場所にある店として紹介するのではなく、人と店の関係が移転後も続いた例として読むと、記事の時間軸が見えてきます。
住宅地と商業地を、どう歩きやすくするか
目黒区は2019年、学芸大学駅周辺地区の整備計画を改定しました。計画期間は2019〜2028年度で、住民、事業者、区が担う取り組みを示しています。この計画の区域も、住所の鷹番だけと同一ではありません。
店へ向かう人、駅を使う人、住宅へ帰る人が通る道をどう整えるかは、暮らしに直結する課題です。計画があることと、個々の整備がすべて終わったことは別です。散歩では店先だけでなく、通行する人や自転車の動きにも目を配りたいところです。
仕事と店
マッターホーンは、町でつくって売る洋菓子店
マッターホーンは1952年創業の洋菓子店で、鷹番三丁目に店を構えています。公式の製造案内によると、自社工場で専属の職人が菓子をつくり、製造から販売までを一貫して管理しています。バウムクーヘンやダミエが並ぶ売り場の背後に、町で菓子をつくる仕事があります。
包み紙の絵を手がけた画家は鈴木信太郎です。持ち帰る菓子と一緒に、絵も人の手に渡る。画家と学芸大学の関係は、出身地というより、店を通じて作品が日常に入る関係として捉えられます。
公式サイトは、手づくりのため生産数に限りがあり、予約を優先すると案内しています。人気の品がいつでも買えるとは限りません。目当ての菓子がある場合は、来店前に公式の販売・予約案内を確かめるとよいでしょう。
目黒本町の小川軒にも、製造と販売のつながりがある
周辺の菓子づくりを見るなら、目黒本町二丁目の巴裡 小川軒も一例です。公式沿革による創業地は1905年の新橋であり、学芸大学で創業した店ではありません。洋菓子部門の歩みのなかで、目黒に製造の拠点が置かれています。
同社によると、商品はすべて目黒の工房で製造しています。生ケーキは原則として朝に出荷し、その日のうちに販売する仕組みです。目黒店は目黒本町二丁目6番14号。鷹番の駅前商店街とは場所が異なりますが、周辺に売り場と製造の仕事がともにあることが分かります。
高架下も、駅の町をつくる場所になっている
東急のエリア案内によると、駅周辺の高架下施設「GAKUDAI KOUKASHITA」は2024年にリニューアルしました。鉄道が通る場所の下を、買い物や飲食に使う場所として更新する動きです。
1952年創業の店、自社工房での製造、近年更新された高架下。学芸大学の商いには、続けてきた仕事と新しく使い直す場所の両方があります。新店の数だけで町を比べるより、何をどこでつくり、どう売っているかを見ると、それぞれの店の違いがつかめます。
見どころ
駅前から碑文谷公園へ、商いと水辺をつないで歩く
初めてなら、駅周辺の商店街と碑文谷公園を組み合わせると、記事で見てきた町の二つの面をたどれます。鷹番三丁目のマッターホーンを訪ね、碑文谷六丁目の公園へ。目黒本町の小川軒まで足を延ばす場合は、別の住所にある店として地図で位置を確かめてください。
碑文谷公園では、まず池と中之島に目を向けてみましょう。区の歴史解説にある農業用水の記憶と、今の公園の使われ方を、一つの場所で見比べられます。公園には動物とふれあう施設もありますが、利用日や内容は施設ごとに異なるため、区の案内を確認してください。
ボートと菓子店は、曜日を確かめてから
2026年10月3日に確認した目黒区の案内では、碑文谷公園のボートは3〜11月の土日・祝日に営業し、料金は1隻30分200円です。雨や強風などで中止になる場合があります。平日も同じように乗れるわけではありません。
マッターホーンは、2026年5月20日から火曜・水曜を定休日とする案内に変わっています(祝日の場合は営業)。古い紹介記事の「火曜定休」だけを頼りにせず、訪問日の営業と販売状況を公式サイトで確認してください。参照先は記事末の出典にまとめています。
写真は駅が2022年、公園が2009年の記録です。特に駅周辺は2024年の高架下リニューアルより前の姿で、現在の店舗一覧を示すものではありません。古写真は町の変化を読むため、営業案内は訪問を考えるためと、役割を分けて使ってください。
ほかの町との比較
祐天寺とは、名前の由来になった施設の今が違う
東横線の隣駅・祐天寺も、施設の名前を駅名に持つ町です。ただし、祐天寺という寺は今も駅の周辺にあり、住所は中目黒五丁目です。一方、東京学芸大学のキャンパスは1964年に小金井へ集約されました。
| 見比べる点 | 学芸大学 | 祐天寺 |
|---|---|---|
| 駅名の手がかり | 師範学校から大学へと変わる学校の歴史 | 寺院・祐天寺 |
| 由来となる施設の現在 | 大学のキャンパスは小金井 | 寺は中目黒五丁目にある |
| 住所との関係 | 駅周辺は鷹番など。学芸大学は駅名として町を指す | 住所の祐天寺一・二丁目と、寺の所在地は異なる |
祐天寺については、寺・駅・町名の違いをたどる記事でも紹介しています。二つの町を歩くと、同じ施設由来の駅名でも、名前が残る仕組みや、住所との重なり方が違うことに気づけます。
学芸大学では、駅名に学校の歴史が残り、池に農村の水仕事が残り、店には町でつくって売る仕事が続いています。出身・ゆかりの人をたどるときも、鷹番で育つ、下馬から行き来する、包装紙の絵で関わるという違いを見れば、町とのつながりを具体的に読めます。






