秋田県横手市の増田では、商家の奥にもう一つ建物が入っているような蔵が残っています。「内蔵(うちぐら)」と呼ばれる土蔵です。
内蔵には品物をしまうだけでなく、畳を敷いて家族が過ごす部屋を設けたものもあります。商いで蓄えた財産を守る場所と、人が暮らす場所が一軒の家の中で重なっていました。
表の店から奥の座敷へ続く造りは、いまも町歩きの手がかりになります。内蔵の公開に加え、古い建物を使う食堂や直売所では、町の商いが続いています。
町の輪郭
増田の商家は、どこに集まっているのでしょうか
この記事で歩くのは、秋田県横手市増田町増田の、中町・七日町を中心とした商家の町並みです。横手盆地の南東部にあり、成瀬川と皆瀬川が合わさる場所に位置します。西には田園、東には奥羽山脈の山地が広がります。[1]
町の中心を通る中七日町通りには、通りに面した幅に比べ、奥行きの長い敷地が並んでいます。表に店を構え、その先に生活のための部屋、さらに蔵を置く造りです。玄関先から見える間口だけでは、家全体の大きさはわかりません。[1・4]
町並みの保存地区は約10.6haで、本町・田町・中町・七日町のそれぞれ一部です。「増田町」全体が保存地区になっているわけではありません。人口は、保存地区とは範囲の異なる「増田地区」などの数字を後の章で紹介します。[1]
内蔵はどうやって家の中に収まるのでしょうか
増田の内蔵は主屋の奥にある土蔵を、さらに「鞘(さや)」と呼ぶ覆屋で包んだものです。主屋は店や住まいとして使う中心の建物。覆屋は蔵の外側を囲む屋根や壁です。[3]
蔵を雪害から保護するために、この造りになったともいわれます。ただし、市の解説も起源を断定していません。家の中に蔵を取り込む形は増田だけのものではなく、雪国に広くみられます。増田で目を引くのは、商家が集まる通り沿いに内蔵がまとまって残ることです。[3]
家の中の通路は「トオリ」と呼ばれます。市の調査による典型的な配置では、この通路が内蔵の脇を通り、蔵の奥の風呂や便所へも続きます。蔵は家の行き止まりとは限らないのです。[3]
台所にあたる水屋に井戸やポンプを備えた家では、外へ出ずに水を使えました。雪の季節にも、炊事や家の中の移動を室内でつなげる造りだったことがわかります。[4]
歴史と発展
商人たちは、何を扱って町を広げたのでしょうか
増田は周辺で作られたものを集め、別の場所へ売る町として発展しました。江戸時代の朝市を背景に、葉タバコや生糸などが商人の主力商品になりました。生糸は蚕の繭から取る絹の糸です。[2]
明治時代には、地元の商人たちが新しい事業へも資金を出しました。1895年に増田銀行が設立され、製陶や水力発電の会社も生まれます。店での売買から、金融や電力を担う事業へと活動が広がった時期です。[1・2]
大正時代には、近隣の吉乃鉱山の採掘が活発になり、暮らしに必要な品物や鉱山で使う物資の流通も増えました。土蔵はこうした商取引で得た財産や道具を収める建物でもありました。[1]
一方、その繁栄が同じ形で続いたわけではありません。鉄道の開通で輸送や商圏が変わり、昭和前期には凶作、生糸などの相場の下落、鉱山の不振が重なりました。保存計画は、地域の経済活動が縮小し、新しい建築材料の普及もあって、明治・大正期に盛んだった蔵造りが終わっていったと説明しています。[1]
家の奥の蔵が、どうして見学できるようになったのでしょうか
きっかけの一つは、地域の人が内蔵の価値を確かめ、外へ伝えたことでした。2005年に写真集『増田の蔵』が刊行され、2006年には所有者らによる「増田蔵の会」が発足。同じ年に第1回の「蔵の日」が開かれました。[1・2]
その後、建物の調査や公開が進み、2013年12月27日には国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれました。家の奥にあった蔵を見せる活動が、主屋や町並み全体を知る機会へ広がってきたのです。[2]
「蔵の日」は、普段は生活の場になっている内蔵も一斉に公開する行事です。市の2026年度の案内は10月4日の開催を告知していました。特別公開の日時や共通券はその行事のための条件なので、通常の見学にそのまま当てはめないでください。[12]
人と暮らし
品物をしまう蔵に、なぜ畳の部屋があるのでしょうか
商家では、家族に加え、住み込む従業員なども一緒に暮らしました。店にさまざまな人が出入りするなか、内蔵は当主や家族だけの私的な空間だったのかもしれない、と市の解説は考えています。[3]
蔵の使い方を、二つに分けてみます。
- 文庫蔵:板の間を基本とし、証文、衣類、道具などを収納する蔵。
- 座敷蔵:1階の板の間の奥などに座敷を設け、人が過ごせるようにした蔵。
文庫蔵を座敷蔵へ改装した例もあります。ただし、住む人が代々呼んできた名前と、調査上の分類が一致しない場合もあるため、名称だけで中の造りを決めつけることはできません。[3]
座敷蔵では、1階を家族が集まったり客を迎えたりする場所に、2階を衣類や家具、食器などの収納に使いました。階ごとに使い方を分けていたのです。[4]
いま、増田にはどれくらいの人が暮らしているのでしょうか
横手市の住民基本台帳によると、2026年9月末の増田地区は3,697人、1,620世帯です。この地区より広い増田地域全体は5,403人、2,306世帯で、亀田・西成瀬・狙半内の各地区も含みます。[5]
| 統計上の範囲 | 人口 | 世帯数 |
|---|---|---|
| 増田地域全体 | 5,403人 | 2,306世帯 |
| そのうち増田地区 | 3,697人 | 1,620世帯 |
| 行政区の中町 | 60人 | 29世帯 |
| 行政区の七日町 | 54人 | 29世帯 |
すべて2026年9月末の住民基本台帳の数字です。中町と七日町を足しても、保存地区の人口にはなりません。保存地区にはほかの町の一部も入り、区域の線引きが異なるためです。[1・5]
この表の世帯数は、内蔵を所有する家の数ではありません。
朝市は、商家の町とどうつながっているのでしょうか
増田の朝市は1643年に始まったと伝えられています。現在も末尾に2・5・9の付く日に開かれ、地元の食材などを売買する場です。[2・6]
市報よこての2024年1月号には、地物野菜や和菓子などが並ぶ朝市が紹介されています。当時、店の数は減っていたものの、地元客が立ち寄る場になっていました。今の出店数は未確認ですが、買い物をする暮らしの場として紹介されていたことがわかります。[6]
同号によると、朝市はかつて中七日町通りで開かれていましたが、高度経済成長期に、県道での開設禁止に伴って朝市通りへ移りました。商家の建物を見ることと、今も品物を持ち寄る場を見ること。その両方から、増田の商いを知ることができます。[6]
仕事と店
酒を造っていた建物は、いま何に使われているのでしょうか
旧勇駒酒造の建物は現在「旬菜みそ茶屋くらを」という食堂に使われています。運営するのは、1918年創業の羽場こうじ店です。[8]
くらをの公式紹介によると、羽場こうじ店は井戸水で米を洗い、秋田杉の麹箱と、稲藁で編んだ菰(こも)という蓋を使います。蔵の石室で温度と湿度を確かめながら、米に麹菌を育てていく仕事です。[8]
麹は米などに麹菌を育てたもの。味噌や甘酒づくりに使われます。くらをでは、その麹を使った料理や味噌汁を出し、かつて酒の仕込みに使った井戸水も料理に使っていると案内しています。[8]
女将の鈴木百合子さんは、公式サイトで、地域の家庭から学んだ麹の使い方を若い世代の食卓にも伝えたいという考えを示しています。[8]
酒造りを終えた建物で、井戸水を使い、麹の料理を出す。くらをでは、古い建物と地域の食べ方を一緒に使い継いでいます。
日の丸醸造では、酒造りと内蔵見学をどう分けているのでしょうか
日の丸醸造は会社の公式紹介で1689年創業とする酒蔵です。現在は「まんさくの花」などを扱い、酒米や酵母の組み合わせを変えた酒造りを掲げています。[7・9]
内蔵を見学できることと、酒を造る現場に入れることは別です。公式案内では、内蔵見学と直売所を設ける一方、品質維持のため製造場には入れないと明記しています。製造場の様子は同社のバーチャル見学で紹介されています。[10]
昔の商家の建物を公開しながら、いまの製造業も続ける。そのために、見せる場所と仕事の場所を分けている例です。訪問時も、見学できるのは案内された範囲と考えておくと、建物と仕事の関係を落ち着いて見られます。
見どころ
初めての見学では、どこから家の造りを見ればよいでしょうか
まずは「増田観光物産センター蔵の駅」で、通りから内蔵までのつながりを見ると、町並みを理解しやすくなります。金物の卸売業を営んだ旧石平金物店を整備した施設で、明治中期の内蔵が見学できます。[11]
見比べたいのは、次の三つです。
- 表の店と奥の距離:通りに見える家の幅と、奥へ続く空間の違い。
- 内蔵の脇の通路:蔵の横を通って、さらに家の奥へ続くトオリ。
- 蔵と覆屋の関係:土蔵そのものと、その外を包む屋根・柱の違い。
2026年10月22日に確認した主な利用案内は、次のとおりです。営業時間や臨時休業は、訪問前に末尾の公式資料で確かめてください。
| 場所 | 本文とつながる見方 | 利用の目安 |
|---|---|---|
| 増田観光物産センター蔵の駅 | 旧金物店の主屋と内蔵、観光案内と物産販売 | 中町103。9〜17時。12月29日〜1月3日休業。JR十文字駅から車・タクシーで約10分。[11] |
| 旬菜みそ茶屋くらを | 旧酒造の建物と麹を使う料理 | 中町64。公式サイト内で定休日の表記が異なるため、営業日と内蔵見学の予約要否を事前確認。[7・8] |
| 日の丸醸造 | 文庫蔵と直売所。製造場は立入不可 | 七日町114-2。10〜16時、不定休。内蔵見学200円、20歳未満は無料。10人未満は予約不要、団体は別条件。[9・10] |
場所を調べるときは、蔵の駅をGoogle Mapsで見る、くらををGoogle Mapsで見る、日の丸醸造をGoogle Mapsで見るから、それぞれの施設名と住所を確認できます。
見学のとき、どこまで入ってよいのでしょうか
内蔵のある商家には、生活の場として使われている家もあります。市が案内する「蔵の日」の一斉公開と、各家の通常公開は別なので、開いているように見える入口でも、その日の案内を確かめてください。[12]
家の奥の座敷や通路は、もともと私的な暮らしと結び付く場所です。公開された範囲を歩き、撮影できる場所も各施設で確認すると、家を使い続ける人と、見学する人の双方が過ごしやすくなります。
ほかの町との比較
木曽平沢の「塗蔵」と比べると、何が違うのでしょうか
長野県塩尻市の木曽平沢にも、主屋の奥に蔵が並びます。ただし、木曽平沢の「塗蔵(ぬりぐら)」は漆器をつくる作業場です。増田の座敷蔵とは、同じ家の奥でも、そこで行うことが異なります。[13]
| 比べる点 | 増田の内蔵・座敷蔵 | 木曽平沢の塗蔵 |
|---|---|---|
| 家の中での位置 | 主屋の奥など。覆屋に包まれ、通路とつながる | 店舗・主屋の裏側にある |
| 主な使い方 | 道具や衣類の収納。座敷蔵は家族の生活や接客も担う | 漆器の製作を担う作業場 |
| 町歩きの手がかり | 蔵の外側と内部を見比べ、商いと家族の居場所を知る | 店先の漆器と、その奥の製作空間の関係を知る |
これは各地の代表的な使い方を比べた表です。増田にも醸造のための蔵などがあり、すべての蔵に座敷があるわけではありません。木曽平沢の作業場見学も、各店への確認が必要です。[3・13]
木曽平沢の仕事については、塗蔵と漆器づくりをたどる記事で紹介しています。
増田の内蔵を見るときは、「何をしまったか」に加えて、「誰がここで過ごしたか」に目を向けてみてください。店、通路、座敷、井戸、そして今の食堂や直売所。家の奥にある蔵から、商いと暮らしをつないできた町の姿が見えてきます。



