長野県塩尻市の木曽平沢には、漆器を塗るための蔵があります。「塗蔵(ぬりぐら)」です。下地づくりや研ぎをする1階と、仕上げの塗りをする2階。ほこりが上がらないよう階段にも仕切りを設ける建物には、漆器をつくる手順が組み込まれています。

通りに並ぶ店の奥に、どんな仕事の場があるのか。家と蔵の関係からたどると、木曽平沢は古い建物の並ぶ町というだけでなく、生産と販売が近接した町として見えてきます。

町の輪郭

二つの通りが受け持つ仕事

木曽平沢は、長野県塩尻市の南部、奈良井川の右岸に広がる漆器の産地です。この記事で主に扱う保存地区は約12.5ヘクタール、東西約200メートル、南北約850メートル。大字木曽平沢の全域とは区別します。

中心を通る旧中山道は、本通りと呼ばれています。市の保存資料は、ここに漆器の店を備えた主屋(敷地の中心となる建物)が多く、西側に並行する金西町(きんさいちょう)には、店舗を持たない職人の住まいが並ぶと説明しています。市の歴史的風致の資料によれば、金西町の街路が開かれたのは1924年。二つの通りは、同じ時代に一度にできたものではありません。

通りの見た目の違いは、売る場とつくる人の住まいの違いでもある。その関係を含めて保存されているのが、漆の仕事を営む「漆工町」の町並みです。

木曽平沢の通りに並ぶ町家と店舗。軒先には品物が並び、人々が往来している。
木曽平沢の町並み、2009年6月6日撮影。現在の店舗や混雑状況を示す写真ではありません。写真「Kiso-Hirasawa01n3200.jpg」:663highland/Wikimedia Commons/CC BY 2.5。原画像は無加工、表示時に縮小。原掲載ページと利用条件は末尾の参考資料に掲載。

家の奥にある作業場

隣家とのすき間にも役割がある

通り沿いの家から、奥へ目を向けてみます。市が説明する典型的な配置では、主屋の後ろに中庭があり、その先に塗蔵、さらに離れや物置が続きます。通りに向かって間口は狭く、奥へ長い敷地を、住まいと仕事に使ってきました。

主屋を間口いっぱいに建てず、隣家との間に塗蔵へ向かう通路を残す例も多いといいます。家々のすき間は、単なる空きではありません。店の表側と、奥の作業場をつなぐ道でもあったのです。個々の敷地の通路は公道とは限らないため、町並みを見る際には通りから読み取れる構えとして捉えたいところです。

ほこりを避けるために、工程を上下に分ける

木曽平沢町並み保存会は、土蔵造りの塗蔵を、温度や湿度を保ちやすく、漆塗りに適した建物と説明しています。蔵の1階では下地付けと研ぎ、2階では中塗りと上塗りを行います。仕上げの塗りがほこりを嫌うため、階段に間仕切りを設け、下の階からほこりが入るのを防ぎます。

塗蔵の上下階と仕事

2階:中塗り・上塗り
ほこりを避けたい塗りの工程を行う。

階段の間仕切り
1階から2階へほこりが入るのを防ぐ。

1階:下地付け・研ぎ
塗り重ねる前の面を整える工程を行う。

木曽平沢町並み保存会と塩尻市の建物解説をもとに編集部作成。上下階の使い分けを示す模式図で、特定の蔵の実測断面図ではありません。

同じ白い壁の蔵でも、一般の品物をしまう蔵と、塗るための蔵は役割が異なります。保存会は、収納用の「ホウゾウ蔵」と比べ、塗蔵には大きめの開口部と引き戸があると説明しています。外観からすべてを見分けられるとは限りませんが、蔵を保管場所だけだと考えると、そこで働く人の姿を見落としてしまいます。

なお、市の資料では奈良井にも塗蔵が数棟あるとされています。木曽平沢だけに存在する建物というより、漆器の生産が町の構成に強く表れた例として見るのが適切です。

漆器の産地になるまで

街道の付け替えと、隣の宿場との商い

市は、1598年に奈良井川の左岸から右岸へ道が付け替えられたことを契機に、山林の近くで暮らしていた人々が道沿いへ移り、集落が形成されたと考えています。1598年を町の創設年と断定する説明ではありません。近世の平沢は奈良井宿の枝郷に位置づけられ、木工や漆器の生産を営んでいました。

その商いを具体的に伝えるのが、市の歴史的風致の資料で紹介される1748年の書状です。豊嶋屋半右衛門から平沢の巣山幾右衛門に宛て、重箱の価格を奈良井の品と同じ水準に下げるよう求めた内容だと解説されています。ここでは原文を直接読んだのではなく、市による史料の読み解きを手がかりにしています。

隣り合う産地は、同じ街道にあるだけでなく、品物の価格を比較される関係にもあった。一通の取引文書からは、漆器づくりが技の仕事であると同時に、売値を交渉する商いでもあったことが伝わります。

2003、2004年には住民の委員会と行政が関わり、奈良文化財研究所による町並みの保存対策調査が行われました。国の重要伝統的建造物群保存地区への選定は2006年7月5日。器や技法に加えて、それをつくる町の空間も保存の対象になっています。

いまにつながる仕事

小坂家が、木からガラスへ広げた漆の使い方

産地で仕事を続ける方法は、従来の製品をそのままつくることだけではありません。木曽平沢に店を構える丸嘉小坂漆器店には、ガラスに漆を施す「漆硝子」の製品があります。

2025年の関東経済産業局の取材で、3代目の小坂玲央さんは、もともと座卓やちゃぶ台などが中心だったこと、バブル崩壊後に仕事が減り、自社で新たな商品を生み出そうとしたことを説明しています。先代が試みたのは、ガラスの天板に漆で絵を入れること。塗るだけでは十分に定着せず、試行錯誤が必要だったといいます。

同店の公式サイトによれば、2代目の小坂康人さんは長野県の工業試験場と共同研究を進め、1994年にガラスを素地とする「すいとうよ」を商品化しました。2013年には「百色」が生まれています。これは小坂家の仕事の経緯であり、木曽平沢の全工房が同じ技術や製品を使っているという意味ではありません。

2022年に塩尻市が掲載した高校生との取材記事では、玲央さんが、製品の企画からPR、顧客へ届けるまでを自社で担う姿が紹介されています。手元に届いた品の価値が伝わることを、つくる職人の価値につなげたいという考えです。新しい素材を扱う技だけでなく、使い手にどう届けるかも仕事の一部になっています。

2026年9月29日に確認した公式サイトにも、漆硝子の器やアクセサリーが掲載されています。塗蔵が伝えるのは、漆を扱うために整えられた作業環境。漆硝子が伝えるのは、その素材を別の使い方へ広げようとする仕事です。この二つから、漆を扱う条件に合わせて場を整え、製品も変えてきた産地の姿が見えてきます。

ほかの町との比較

奈良井の宿場と、平沢の塗蔵

隣の奈良井も、中山道沿いに奥行きの深い敷地が並ぶ町です。市の解説では、奈良井川左岸の宿場の中町に、本陣、脇本陣、問屋などの中核施設が置かれていました。

共通するのは街道と細長い敷地。違いを見る手がかりは、その空間がどんな仕事を受け止めたかです。奈良井では旅人や荷の往来を支えた宿場の施設、木曽平沢では主屋の奥に連なる塗蔵に注目できます。奈良井にも漆器づくりはあり、二つの町を宿泊と製造だけに分け切れるわけではありません。

木曽平沢の家並みを知るときは、店先から奥へ続く通路と、蔵の上下階を思い浮かべてみる。通りからは見えない工程まで含めると、その町並みは、住む・つくる・売るという営みがつながった形として読めるようになります。

この記事は公開資料に基づく読解で、現地・当事者への独自取材は行っていません。保存地区と同じ範囲の人口・世帯数、および各塗蔵の現在の使用状況は未確認です。