脇町南町の家並みを見ると、屋根の端から白い壁が突き出しています。「うだつ」と呼ばれる、隣の家から火が燃え移るのを防ぐための壁です。けれども、その形だけを眺めていては、この町を支えた仕事は見えてきません。

徳島県美馬市の吉野川北岸にあるこの町は、藍の染料を扱う商いで発展しました。通りに面した店、その奥の住まいと蔵、さらに川へのつながり。藍商の家を表から裏へ読み解くと、うだつの町並みが、ものを集めて送り出す場所だったことが分かります。

町の輪郭

川と二つの街道が出会う場所

脇町は、吉野川の北岸を東西に通る撫養街道と、讃岐方面へ向かう街道が交わる場所にあります。美馬市は、陸路に加えて舟運も使いやすい立地を、町の発展を考える手がかりとして挙げています。脇城の城下町として成立し、その後、藍を集めて流通させる町になりました。

この記事で扱うのは、旧脇町全域ではなく「脇町南町」の保存地区です。市の文化財資料によれば、中心の通りは東西約430メートル、保存地区は5.3ヘクタール。歩いてたどれる町並みですが、仕事のつながりは、その通りの外にも伸びていました。

脇町南町の通りに並ぶ町家。隣り合う家の境に、小さな瓦屋根を載せた白いうだつが見える。
脇町南町のうだつと町家。2005年6月24日撮影で、現在の店舗や道路の状態を示す写真ではありません。撮影:+-(PlusMinus)/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。画像ファイルは無加工、表示時に縮小。原掲載ページと利用条件は末尾の参考資料に掲載。

歴史と発展

火を防ぐ壁が、商家の表情になる

うだつには、防火と装飾という二つの面があります。美馬市の解説では、設置に費用を要したことから、次第に家の富や成功を表す意味も強くなったと説明されています。通りから見える白い壁は、家を守る仕組みであり、その家の構えを人に見せる部分でもあったわけです。

町並み全体を、一度に完成した江戸時代の景色と考えるのも正確ではありません。文化遺産オンラインは、18世紀初頭以降の各時期の建物が残る点を評価しています。長い時間をかけて建てられた町家が、瓦や塗り壁、うだつによって共通の表情をつくっています。

残っていた町を、保存する町へ

建物が古いことと、それを守り続ける仕組みがあることは別です。市の保存経緯の記録では、1984年に「脇町の文化を進める会」が発足し、シンポジウムなどを開いて町並みの価値を考える活動を進めました。1988年12月16日には、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

藍商が営みを重ねた時間に、住民が町並みの保存を考える時間が加わった。その二つを分けて見ると、脇町は昔の繁栄を眺めるだけの場所ではなく、残すものを選び、手を入れてきた町として見えてきます。

仕事と暮らし

吉田家の入口は、一つではなかった

藍商の家の使い方を知る手がかりが、公開されている吉田家住宅です。吉田直兵衛は1792年に藍の商いを始め、屋号を「佐直(さなお)」と称しました。市の案内によると、約600坪の敷地には母屋や藍蔵など5棟が、中庭を囲んで建っています。1792年は商いの創業年であり、敷地内の建物すべての建築年ではありません。

うだつの町並みボランティアガイドが2025年9月に作成した英語ガイドは、三つの入口を説明しています。通りから見て右は来客、中央は家族や親類、左は商売の客や従業員のための入口です。同じ家でも、訪ねる目的や立場によって、入る場所が分かれていました。

店の入口には大きな揚げ戸があり、ガイドでは、朝に持ち上げ、夕方に下ろして店を閉めたと紹介されています。土間は作業の場。帳場の展示には帳簿とそろばんが置かれています。商家の内部には、品物を扱う仕事と、取引を記録する仕事の両方があったことを伝える案内です。

吉田家で重なっていた役割

  1. 通りに向く入口 ― 来客、家族、商売に関わる人で使い分ける。
  2. 店・土間・帳場 ― 品物を扱い、取引を記録する。
  3. 住まい・中庭・蔵 ― 暮らす場所と、品物を保管する場所が同じ敷地にある。
  4. 家の裏と川 ― ガイドは、かつて裏手に港があったと説明する。
編集部作成。市の吉田家住宅案内と、地元ボランティアガイドの2025年9月版資料をもとに役割を整理した模式図です。実際の間取り、方位、距離、荷物の搬送順路を示すものではありません。

蔵の向こうに、運ぶ道がある

同じガイドは、家の裏手にかつて港があったことも伝えています。通りに向いた表構えと、川に近い裏側。その両方が分かると、商家の大きさは、豪華さだけでなく、商売・保管・居住を受け止める敷地の大きさとして捉えられます。

これは吉田家を手がかりにした読み方です。地区のすべての家が同じ規模で、同じ仕事をしていたとまでは言えません。

現在の使われ方

藍をしまう蔵から、人を迎える場所へ

市の現行案内では、吉田家住宅の南側にある藍蔵は、かつて藍を保管した蔵を改装した施設として紹介されています。1階は土産物、2階はカフェ。建物が担う役割は、染料の保管から、町を訪ねた人を迎えることへ変わっています。

町には藍を実際に使う場もあります。美馬市観光交流センターの藍染工房です。市の案内によると、徳島でつくられる「蒅(すくも)」を使い、天然灰汁発酵建てという方法で染液を用意しています。蒅は藍染めの原料で、工房ではそれを使って布などを染めます。染料をつくる仕事、売り運ぶ仕事、染める仕事は、同じ「藍」に関わっていても役割が異なります。

体験は藍の状態によって休む日もあると案内されています。吉田家住宅を含め、訪問時の開館や体験の可否は施設の最新案内で確かめてください。ここでは2026年9月27日に確認した公開資料をもとに、建物や藍がどう使われているかを紹介しています。

ほかの町との比較

近江八幡の堀、脇町の川岸

同じ水運の町でも、水と町の結び付き方には違いがあります。滋賀県の近江八幡では、1585年の築城とともに琵琶湖へ通じる八幡堀が築かれたと、市の資料が説明しています。堀は湖上の流通と防衛を兼ね、町を形づくりました。

脇町で見てきたのは、吉野川の舟運と街道が使える場所に藍の商いが集まり、商家の表と裏に仕事の場が広がる関係です。堀という水路から町を見る近江八幡に対して、脇町では町家の奥と川岸を重ねて考えると、運ぶ仕事が見えてきます。

うだつを見上げたあとに、家の入口や蔵にも目を向ける。火を防ぎ、家の構えを見せる白い壁の向こうには、品物を扱い、取引を記し、暮らしを営む場所がありました。その仕事まで思い描くと、脇町の通りは、建物の美しさと商いの動きが重なる景色になります。