堀の先には湖がある

城下町の堀と聞けば、外からの侵入を防ぐ役割を思い浮かべるかもしれません。近江八幡市の資料が伝える八幡堀には、もう一つの役割があります。湖上の流通を支えることです。水路を町の内側だけで見るか、琵琶湖につながる道として見るかで、堀の意味は変わってきます。

城下町と商家の町

市の保存地区の説明によると、豊臣秀次は1585年の八幡山城築城とともに、琵琶湖へ通じる堀を築きました。町は堀をはさんで武士と町人の居住区に分かれ、町人の側には整然とした街路が設けられました。防衛の仕組みと商業の仕組みが、同じ水路を通して町の形に関わっていたことが分かります。

水の道と通りを、一緒に読む

旧城下町の新町通り、永原町通り、八幡堀沿いには、江戸時代から明治時代の町家や蔵が残っています。これらを含む範囲は、1991年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれました。

個々の商家を眺めるとき、その背後に水路があり、さらに湖があることを思い出してみる。建物の歴史と、ものが行き来する経路の歴史を重ねると、堀は町を囲う線であると同時に、外へつながる線にも見えてきます。