京都府南丹市の美山町北には、茅葺き屋根の家がまとまって残っています。その景色を支えているのは、草を刈って屋根材を用意する人、屋根を直す職人、火災に備える住民の仕事です。
家だけを眺めるより、庭や畑、家と家の間の道にも目を向けてみる。すると「かやぶきの里」は、手入れを重ねて暮らしを続ける集落として見えてきます。
町の輪郭
「かやぶきの里」は美山町のどこにある?
「かやぶきの里」と呼ばれる北集落は、京都府南丹市美山町の一角です。京都市と福井県小浜市の間にあり、由良川の上流と、京都・若狭を結ぶ街道に沿っています。
南丹市の保存計画では、川の右岸に田畑と民家が並び、その背後に山林が続く配置を説明しています。家々があるのは、山裾の段になった土地。石垣で支えた敷地の間を、細い道が通ります。
保存するのは、茅葺き屋根だけ?
南丹市美山町北伝統的建造物群保存地区は、北の一部、約127.5ヘクタールです。美山町全域でも、屋根が見える建物だけの区域でもありません。
市の案内には、主屋や小屋、蔵、社寺のほか、石垣、境内、樹木なども保存する対象として載っています。畑や道を含む周りの環境と一緒に、家が並ぶ景色を守る考え方です。
公式観光案内が紹介する茅葺き建物は39棟。一方、市の一覧にある「保存対象に特定した建造物」の数は、数え方が異なります。39棟を世帯数や、すべての文化財建物の数として読むことはできません。
歴史と発展
古い家が残るまでに、どんな選択があった?
北集落の保存は、住民が屋根を維持する組織をつくり、地区として残す方針を話し合ってきた積み重ねです。国の選定だけで、突然始まった取り組みではありません。
南丹市の保存計画は、この土地が鎌倉時代以降、知井庄に属していたと説明しています。ただし、今見える家が中世からそのまま残っているわけではありません。計画が扱う主屋の建築年代は、主に18世紀後期から20世紀中期です。
| 時期 | 北集落で進んだこと |
|---|---|
| 1989年度 | 町が保存のための調査を実施 |
| 1992年 | 地区で保存の方針に合意し、町の条例制定へ |
| 1993年12月8日 | 国の重要伝統的建造物群保存地区に選定 |
市が2022年にまとめた資料には、選定後25年間の修理・保存203件のうち、茅葺きの修理が72件、茅葺きへの復元が9件とあります。これは2026年までの累計ではありませんが、残すために繰り返し手を入れてきたことがわかります。
放水設備は、資料館の火災後にできた?
北集落の防災施設の工事は、2000年の資料館火災より前に始まっています。市の記録では、1995年の阪神・淡路大震災を受けて防災計画を見直し、7か年の施設工事に着手しました。
その途中の2000年5月、美山民俗資料館で主屋と納屋が焼失します。2001年には一部完成した放水銃で訓練を始め、翌年に62基が完成しました。
今の一斉放水は、この設備を動かして確かめる点検です。屋根に水の弧がかかる景色の奥には、火災から家と生活を守る目的があります。
人と暮らし
北には何人が暮らしている?
南丹市の住民記録では、北行政区の人口は83人、世帯数は39世帯です。原表の集計基準日は2026年9月30日で、日本人・外国人を合わせた数です。
市の掲載ページは「10月1日現在」としていますが、ここでは原表に印字された9月30日を基準日としました。これは行政区コード「4002 北」の値です。保存地区だけを切り出した人口でも、茅葺きの家に住む人数でもありません。観光案内にある建物の棟数と、住民登録の世帯数は分けて考えます。
「てんごり」から、誰が屋根を葺くようになった?
北集落で伝えられてきた「てんごり」は、一軒の家の仕事を住民が集まって助ける共同作業です。かやぶきの里の2025年の記録は、屋根の葺き替えも、家族だけでは足りない手を集落で補っていたと説明しています。
当時も職人はいましたが、農業と兼ねる働き方が基本でした。2025年の同じ記録では、葺き替えは専門の茅葺き職人が担う場合がほとんどだといいます。
専門職人に任せるようになっても、住民の仕事がなくなったわけではありません。川向こうの茅場で屋根材のススキを育て、刈り取る作業が続いています。
茅は、刈ったらすぐに屋根へ載せる?
北集落では、秋に刈った茅を冬の間に乾かし、春に倉庫へ運びます。かやぶきの里が2025年4月に記した「茅しまい」をたどると、屋根材を使える状態にするまでの仕事が見えてきます。
| 段階 | 住民がすること |
|---|---|
| 秋から冬 | 刈った茅を塚のようにまとめて乾燥させる |
| 乾燥中 | 川風で倒れていないか見回り、倒れた塚を立て直す |
| 春 | 乾いた茅を束ね直し、車で専用の倉庫へ運ぶ |
この年に確保した量は14〆。記録では、屋根の側面の小さな一面を葺くだけでも15〆は必要とされています。「〆」は、この作業で使う大きな束の数え方で、記録では一周約4メートルの束を1〆としています。
一度の刈り取りで、家々の屋根をすべて直せるわけではありません。材料を用意する仕事にも、場所と時間、何人もの手が必要です。
同じ地域の2025年4月の記録には、石垣の草を抜き、壊れた部分を住民が修復する様子も書かれています。目に入る屋根の下にも、小さな手入れが重なっています。
仕事と店
そば畑は、どうして広がった?
「お食事処 きたむら」のそば栽培は、増えてきた休耕田を使い、秋の景色にも合う作物を育てようと、一枚の田から始まったといいます。運営するかやぶきの里が、2021年に作り手の記録を公開しています。
最初は手で刈り、脱穀して実を取り、石臼で粉にして手打ちそばに使っていました。その後、作付面積が広がり、作業の一部を機械化したと記されています。
2026年10月に確認した店の案内でも、里で育てたそばを使うと紹介しています。畑を保つ仕事と、訪れた人に食事を出す仕事が、ここではつながっています。2021年の記録から現在の作付面積や収穫量まではわかりません。
生まれ育った家を、石窯ピザの店にする
北集落で生まれ育った中野善文さんは、教員を退職して帰郷し、実家を改修して2019年に「さかや」を開きました。美山の観光協会が掲載した本人へのインタビューで、その経緯が語られています。
その記事が伝える開店の条件は、集落に住んでいることと、提供するものが住民の生活につながること。中野さんは地元の野菜などを使う石窯ピザを用意し、開店前には住民に試食してもらいました。
同じ取材記事には、2023年に保存会長へ就任したことも記されています。古い家を受け継ぐことと、そこで新しい仕事を始めることを、一人の歩みから見ることができます。
2026年10月の公式案内には、「さかや」のほか、平飼い卵と美山の牛乳を使う菓子を出す「カフェ 美卵」も掲載されています。昔の建物の中で、食べ方や仕事は少しずつ変わっています。
見どころ
家の内側を知るなら、美山民俗資料館へ
美山民俗資料館では、主屋・納屋・蔵と、農具や生活道具の展示を通して、屋根の下にあった暮らしを知ることができます。地域の公式案内では、展示は200点以上とされています。
気をつけたいのは建物の年代です。1993年に農家住宅を活用して開館しましたが、主屋と納屋は2000年の火災で失われ、残っていた詳細な記録をもとに復元されました。今あるすべての建物を、江戸時代のままの姿と紹介することはできません。
2026年10月7日に確認した観光協会の案内では、開館は10〜16時、月曜休館です。月曜が祝日の場合は開館し、翌火曜に休みます。入館料は高校生以上300円。臨時の変更は訪問前に公式案内を確かめてください。
屋根、石垣、放水点検をどう見る?
北集落では、次の三つを見ると、ここまで読んだ仕事と景色がつながります。
- 屋根の上と側面:木を組んだ棟飾りや、側面の三角形の部分に注目します。市が「北山型」と呼ぶ民家の特徴を、形から確かめられます。
- 敷地の足元:斜面の石垣、家のそばの畑、隣へ通じる道を見ます。屋根だけでなく、土地にも手が入っています。
- 防火の設備:一斉放水は、住民の火災予防講習と合わせて年2回行う点検です。2026年秋は12月1日11時30分からの実施が案内されています。
放水点検日は車・バイクなど全車両が事前予約制です。11時から点検終了までは集落の外へ移動するよう案内されています。通常の散策日と条件が違うため、最新の公式情報を見てから出かけてください。
公開している資料館や店と、住民の家は別です。保存会も、私有地への立ち入りを控えること、集落内の禁煙・火気厳禁をお願いしています。庭や屋内に入らず、道をふさがずに眺めたい場所です。
ほかの町との比較
郡上八幡と比べると、共同で守るものはどう違う?
美山町北と岐阜県の郡上八幡には、身近な自然を使う生活設備と、それを手入れする仕事があります。比べるのは観光客数や町の規模ではなく、「何を使い、誰がどう保つか」です。
| 見る点 | 美山町北 | 郡上八幡 |
|---|---|---|
| 身近な素材・水 | ススキを屋根材にする | 山水や湧水を水舟に引く |
| 使い続ける工夫 | 茅を乾燥・保管し、傷んだ屋根を葺き替える | 水槽ごとに用途を分けて水を使う |
| 共同の手入れ | 住民による茅刈り・茅しまい、職人の施工 | 用水の当番掃除や山林・水路の管理 |
郡上八幡観光協会は、水舟の用途の分け方や、柳町用水の当番制の掃除を紹介しています。詳しくは郡上八幡の水舟と用水の記事でもたどれます。
北集落で見えてくるのは、屋根とその材料を育てる場所、乾かしてしまう仕事までが一続きになっていることです。茅葺きの家を眺めるとき、川向こうの茅場や家の間の小道も、暮らしを支える場所として見えてきます。





