温泉津(ゆのつ)は島根県大田市の日本海沿いにある港と温泉の町です。山に挟まれた道をたどると、港の商家から旅館、共同浴場へと、建物の使われ方が変わります。
この町から船で運び出された品の一つが、水をためる大きな焼き物でした。水道が広がって水がめの出番が減った後も、窯元は日々の食卓で使う器を作っています。
港、窯、風呂を結びつけると、古い町並みが残った理由だけでなく、仕事や建物の使い方を変えてきた道筋が見えてきます。
町の輪郭
港と温泉街は、なぜ細長くつながっているのでしょうか
温泉津の中心は西側の港から東側の温泉へ延びる狭い谷にあります。文化庁の解説では、主な谷は東西約800メートル、南北の幅は100メートルに満たないとされています。
三方には硬い岩盤の丘陵が迫り、平らな土地を広く取れません。谷に沿う道の両側へ家を建て、裏の岩盤を削って敷地を広げた場所もあります。家の背後にすぐ山が見えるのは、この土地の条件と関係しています。
港に近い西側には、船で運ばれる品を扱った商人の比較的大きな屋敷があります。谷の奥へ進むと、湯を使う浴場や旅館が集まります。町の中で仕事をする場所と、港や源泉との距離が対応しているのです。
保存地区と、人口を数える「温泉津」は同じ範囲でしょうか
同じではありません。温泉津の伝統的建造物群保存地区は36.6ヘクタール。建物だけでなく、道や敷地の形も含めて町並みを守る範囲で、2004年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれ、2009年に範囲が広がりました。
一方、大田市の町別人口表にある「温泉津」は、市が人口を集計する区分です。保存地区だけの人口でも、かつての温泉津町全体の人口でもありません。
この記事では温泉津の港と温泉街、焼き物の窯が置かれた松山地区を中心に扱います。銀山との関係を説明する際には、近隣の別の港である沖泊(おきどまり)にも触れます。
歴史と発展
石見銀山と結びついた港は、一つだったのでしょうか
銀山を支えた港には、それぞれの場所と役割がありました。温泉津は16世紀後半、石見銀山に関わる物資の供給や政治の拠点として発展しました。港を通じて運ばれる品と、それを扱う商いが町を支えます。
近くの沖泊は銀山の西およそ9キロメートルにある入り江です。文化庁は、毛利氏が銀山を支配した16世紀後半の約40年間、銀の積み出しや物資の搬入、軍船の拠点として機能したと説明しています。
銀山から両港へ向かう「温泉津・沖泊道」も、銀や生活物資を運ぶ道でした。「銀山の港」とひとまとめにするより、山の道、沖泊の入り江、温泉津の町並みを分けて考えると、運ぶ人や品が動いた範囲をつかめます。
船に積んだ水がめは、どんな暮らしを支えたのでしょうか
温泉津焼の代表的な品に、「はんど」と呼ばれる大きな水がめがあります。水をためて使う暮らしの道具で、すり鉢などとともに船で各地へ運ばれました。
温泉津やきものの里の説明では、18世紀初め、宝永年間に三つの窯が開かれたと伝えられます。その後、江津の職人から技術を取り入れ、幕末から明治にかけて生産が盛んになりました。
松山地区には、窯を築ける急斜面がありました。周辺では熱に強い粘土や釉薬の原料、燃料にする松が得られました。港も近く、材料をそろえて焼いた器を船に積み出せる場所でした。
釉薬(ゆうやく)は焼き物の表面にかけ、色や質感を出す材料です。
飴色の来待釉(きまちゆう)に黒い釉薬を流したはんどは、この土地の焼き物を伝える一例です。北前船と呼ばれる日本海側の交易船が、温泉津の大きな器を各地の暮らしへ届けました。
水がめの注文が減ると、窯元は何を作るようになったのでしょうか
水道の普及で家に大きな水がめを置く必要が薄れ、プラスチック製品も広がると、はんどの需要は減りました。島根県の温泉津焼の紹介も、昭和40年代からプラスチック製品の普及で生産量が減ったと説明しています。
運ぶ仕組みも変わります。やきものの里がまとめた歴史では、大正期に鉄道が開通すると、港を介した交易は衰えました。昔と同じ大きな器を作り続けるだけでは、売り先を保ちにくくなります。
現在の窯元が手がけるのは、皿や鉢、カップなどの生活雑器です。毎日の食事で手に取る器へと品物を変えながら、石見の粘土を焼く仕事が続いています。
人と暮らし
今、何人が暮らしている町なのでしょうか
大田市の町別集計「温泉津」には、870人、465世帯が登録されています。市が2026年10月1日分として掲載した住民基本台帳の表によるもので、人口・世帯表の基準日は9月30日です。
| 項目 | 人数・世帯数 |
|---|---|
| 登録人口 | 870人 |
| 世帯数 | 465世帯 |
| 15歳未満 | 54人 |
| 15〜64歳 | 397人 |
| 65歳以上 | 419人 |
年齢別人口は同じ町別区分の原表を集計しました。市の10月1日現在の高齢化率表でも、65歳以上は419人、全体の48.16%です。
この数字から、窯元で働く人や浴場を利用する人の人数まではわかりません。観光で訪れる町並みは子どもから高齢者まで日々暮らす人の生活の場でもあります。
共同浴場の湯は、誰の手で保たれているのでしょうか
温泉津の共同浴場には、元湯と薬師湯があります。入浴する人を迎える仕事は、湯を張るだけでは終わりません。
薬師湯の運営者は営業後に浴槽の湯を抜いて清掃すると説明しています。建物を残すだけでなく、閉館後に手入れをして、次に入浴する人を迎えています。
元湯では毎月7日の朝9時から1時間ほど、御薬師堂で報恩法要が行われます。湯を守ってきた人や仏に感謝する行事が、現在の営業案内と並んで告知されています。
温泉が見つかった時期を伝える話には、狸が湯につかっていたという伝説もあります。発見の経緯は伝承として受け止め、史料で確かめられる町や建物の年代と分けて読む必要があります。
外から来た陶工は、焼き物の仕事にどう関わったのでしょうか
椿窯を開いた荒尾常蔵は温泉津へ移り住んだ陶工です。島根県観光連盟が2016年に公開した現地取材記事によると、陶芸家の河井寛次郎に学び、京都の五条坂で作陶した後、1969年に温泉津へ移りました。
荒尾は古い登り窯を修復し、椿窯を開きました。土地に残った窯に、別の場所で学んだ技術を持ち込んだ例です。温泉津の焼き物は地元だけで完結した仕事ではありませんでした。
現在の島根県の紹介には、椿窯、有限会社椿窯、森山窯が掲載されています。町の歴史を見るときは、代々受け継いだものに加えて、移ってきた人が何を始めたかをたどると、仕事の変化が具体的になります。
仕事と店
登り窯はどうやっていくつもの部屋を焼くのでしょうか
登り窯は斜面に沿って焼くための部屋を階段状に連ねた窯です。温泉津やきものの里には、復元・修復された二つの登り窯が残っています。
部屋の床近くには、隣の部屋へ炎を通す開口があります。下から上へ熱を送り、側面の「横口」と呼ぶ口からも薪を入れて焼きます。斜面は窯の置き場所であると同時に、部屋を順につなぐ構造の一部でした。
器作りはおおむね次の順番で進みます。
- 粘土で形を作り、表面や底を仕上げる。
- 乾かしてから素焼きする。
- 釉薬をかけ、窯に器を並べる。
- 高温で焼き、焼き上がった器を窯から出す。
島根県は、温泉津焼に使う石見の粘土は熱に強く、約1,300度で焼くと紹介しています。昔のはんどと今の食器には、品物の大きさや使い方が違っても、こうして土を焼いて日用品にする仕事のつながりがあります。
やきもの館では、買う前に何を確かめられるのでしょうか
温泉津やきもの館では地域の焼き物を見たり、陶芸を体験したりできます。保存された登り窯と器を見比べれば、完成した品だけでなく、どんな設備で焼いてきたのかも考えられます。
陶芸体験は予約が必要です。手で形を作る体験は40〜60分が目安で、その後の仕上げ、釉薬かけ、焼成はスタッフが行い、作品は後日届きます。自分の作った器を、その日のうちに持ち帰る体験ではありません。
買い物では器の重さや持ちやすさ、家で使う皿と重ねたときの大きさも比べてみると選びやすくなります。食器洗浄機や電子レンジでの使用は、製品ごとの案内を確認してください。
昔の浴場は、今も風呂として使われているのでしょうか
薬師湯の旧館は現在「震湯カフェ内蔵丞(くらのじょう)」として使われています。運営者によると旧館は1919年に建てられ、地元の大工が神戸で西洋建築を学んで取り入れた木造の洋館です。
かつて男性の脱衣場だった部分がカフェ、女性用の浴場だった部分がギャラリーになっています。入浴するための部屋を、人が座って食事をしたり、展示を見たりする場所に変えたのです。
窯元では作る品を変え、旧浴場では部屋の使い方を変える。温泉津では古い設備や建物を残すことと、今の利用者に合わせることが、同じ場所で行われています。
見どころ
港、窯、湯を見たいときは、どこを確かめて出かければよいでしょうか
歩く前に、やきもの館の休館日と浴場の利用時間を確認すると予定を組みやすくなります。とくに元湯は、月曜・木曜の一般利用が朝の短い時間に限られます。
施設名と住所で地図を開けるよう、下にまとめました。営業条件は2026年10月20日に公式案内で確認した内容です。臨時休業や当日の変更は、各施設の案内で確かめてください。
- 温泉津やきもの館:大田市温泉津町温泉津イ22-2。9〜17時、入館無料。水曜、12月29日〜1月3日休館、臨時休館あり。陶芸体験は要予約。Googleマップで場所を確認
- 泉薬湯 温泉津温泉 元湯:大田市温泉津町温泉津ロ208-1。3〜11月は6〜20時、12〜2月は6〜19時で、最終受付は閉館30分前。月曜・木曜の一般利用は6〜8時、受付7時30分までで、その後は予約会員利用です。11月第3月曜は定休日。Googleマップで場所を確認
- 震湯カフェ内蔵丞:大田市温泉津町温泉津ロ7-1。11〜15時、ラストオーダー14時30分、火曜・木曜定休。Googleマップで場所を確認
元湯の飲泉場は現在閉鎖中です。温泉だから飲めると判断せず、現地の案内に従ってください。
町並みでは、何を見ると仕事の跡がわかるでしょうか
港側では商家の敷地の広さ、温泉街では浴場と旅館の並びを見比べると、町の中での役割の違いをつかめます。建物の裏へ丘陵が迫る様子も、谷の町を実感する手がかりです。
窯の場所では斜面に沿う部屋の並びを確かめてみてください。町家の格子や洋館の窓など、時代の異なる建物を一度に見られる点も温泉津の特徴です。
保存地区には住居や営業中の施設が含まれます。建物の中や作業場へ入る際は公開範囲を確かめ、道から見えるものと、入場して見られるものを分けて楽しめます。
ほかの町との比較
同じ温泉の町でも、鉄輪とは何が違うのでしょうか
大分県別府市の鉄輪(かんなわ)と比べると、温泉を生活に使う方法の違いが見えてきます。鉄輪の「地獄蒸し」は温泉から出る蒸気を使って食材を蒸す調理です。別府市の地獄蒸し工房では、今もその体験ができます。
| 比べる点 | 温泉津 | 鉄輪 |
|---|---|---|
| 町を読む手がかり | 港から谷の奥の浴場へ続く道 | 湯や蒸気を使う浴場・調理の場 |
| 暮らしに使う熱 | 共同浴場で入浴する | 入浴に加え、地獄蒸しで食材を調理する |
| 今の仕事や利用 | 窯元の器作り、旧浴場を使うカフェ | 蒸し釜を利用する調理体験 |
| 訪問前に確認すること | 浴場の曜日別利用時間、陶芸体験の予約 | 蒸し釜の利用条件、持ち込める食材 |
この比較は二つの町のすべての産業を並べたものではありません。温泉津では港と焼き物にも目を向け、鉄輪では蒸気と調理の関係をたどると、それぞれの土地で人が何を工夫してきたかがわかります。
鉄輪の暮らしは「鉄輪|湯けむりを料理と暮らしに使う湯治の町」でも紹介しています。温泉津の位置は地域ページ、器を作るほかの町は「手仕事」の記事一覧からたどれます。




