富山県南砺市の井波には、木彫りの工房が並ぶ通りがあります。その先に建つのが、井波別院瑞泉寺(いなみべついんずいせんじ)です。
井波彫刻の出発点は、火災で失われた寺を建て直す仕事でした。京都から来た彫刻師に地元の大工が技を学び、やがて住宅の欄間や祭りの飾りにも仕事が広がっていきます。
寺と工房を別々に眺めるより、その間を行き来した技術と人に目を向けると、井波の町がぐっと分かりやすくなります。
町の輪郭
八乙女山のふもとで、寺へ続く八日町と本町
井波の門前町は、砺波平野の南側、八乙女山のふもとにあります。この記事でたどるのは、瑞泉寺と、その門前の八日町(ようかまち)・本町を中心とする範囲です。旧井波町全域を指しているわけではありません。
瑞泉寺へ向かって緩やかに上る八日町通りには、町家や彫刻工房が並びます。北側へ続く本町には、ノミなどの刃物を扱う店や、建具、木地、塗りに関わる仕事も集まってきました。
彫る人だけでなく、道具や素材を用意する人が近くにいる。その仕事のつながりも、文化庁の日本遺産ストーリーが紹介する井波の特徴です。
「井波の人口」と「八日町の人口」は範囲が違う
南砺市の2026年8月末の住民基本台帳では、井波地域は7,389人・2,943世帯です。一方、行政区「八日町」は59人・21世帯と記録されています。
| 統計の対象 | 人口 | 世帯数 |
|---|---|---|
| 井波地域 | 7,389人 | 2,943世帯 |
| 行政区「八日町」 | 59人 | 21世帯 |
いずれも外国人住民を含む数字です。行政区「八日町」の数字を、八日町通りと周辺の工房街全体の人口と読み替えることはできません。地図上の代表点も、地区の境界を示すものではありません。
歴史と発展
寺を建て直す仕事が、彫刻を学ぶ場になった
井波別院瑞泉寺は、1390年に綽如(しゃくにょ)によって開かれた寺です。南砺市の解説は、戦国期の兵火や江戸時代の大火に遭い、そのたびに再建されてきたと伝えています。
井波彫刻につながる大きな転機は、1762年の火災と、その翌年に始まった再建です。京都の本願寺から派遣された御用彫刻師・前川三四郎に、番匠屋九代七左衛門ら地元の大工4人が彫刻の技法を学びました。
再建の現場で地元の作り手が技を身につけ、その後も自分たちの仕事に生かしていきました。前川は井波で仕事をした人物であり、井波生まれとして紹介されているわけではありません。
寺院の彫刻から、家の中の欄間へ
井波彫刻の仕事は、明治時代以降、住宅用の欄間へと広がりました。欄間は、部屋の壁や建具の上方に設ける、明かりや風を通す部分です。そこに木彫りを組み込むと、室内から眺める景色にもなります。
竹中大工道具館の2023年の展覧会は、寺院彫刻、祭りの曳山を飾る彫刻、住宅欄間を並べて紹介しました。使われる場所が変わることで、技術の生かし方も増えてきたことが分かります。
| 転機 | 仕事との関わり |
|---|---|
| 1762年の大火、1763年からの再建 | 寺を建て直す現場で、京都の彫刻師から地元の大工が学ぶ |
| 明治時代以降 | 寺院の技術を住宅欄間へ応用する |
| 1975年 | 井波彫刻が国の伝統的工芸品に指定される |
| 2018年の名古屋城本丸御殿復元 | 井波の彫刻師が、町の外の建築の仕事にも携わる |
寺社の彫刻と、住宅、祭り、置物などの制作は、重なって続いてきました。
人と暮らし
井波で生まれた人、井波へ学びに来た人
井波の花嶋彫刻工房を営む二代目・花嶋一作さんは、工房の公式略歴によると1961年の井波町生まれです。1982年に横山一夢さんに師事し、1987年に井波の木彫刻の訓練校を卒業。2009年に「一作」の号を継いでいます。
師匠のもとで学ぶことと、学校で学ぶこと。その二つが重なる道のりが、略歴から見えてきます。ただし、出生地を八日町まで限定できる資料ではありません。
町の外から来て学ぶ人もいます。JR西日本『Blue Signal』2020年1月号が取材した猪俣愛さんは、神戸出身。京都市立芸術大学を卒業したあと、井波の仏師・藤崎秀平さんのもとへ弟子入りし、工房での修行と週1日の訓練校への通学を続けていました。
藤崎さん自身は、父から欄間彫刻を学び、独立後は仏像制作を得意としてきた人です。親から子へ、師匠から県外の若者へ。同じ町の中にも、技を受け継ぐいくつもの道があります。ここで紹介した修行や肩書きは、2020年の取材時点のものです。
瑞泉寺は、いまも法要を営む場所
瑞泉寺は彫刻を鑑賞する場所であると同時に、信仰の場でもあります。寺の公式サイトには、2026年10月1日午後から3日午前までの「報恩講」の案内が掲載されました。
報恩講は、親鸞の命日をご縁に営む法要です。瑞泉寺の行事解説には、法話や親鸞の生涯を伝える『御伝鈔』の拝読などが記されています。
堂内に人が集まる理由を知ると、建築や彫刻の見え方も変わります。寺は、過去の技術が保存された建物であるとともに、今日も人が使う場所なのです。2026年の案内は確認しましたが、現地での実施状況を取材したものではありません。
仕事と店
木の表と裏から彫り、奥行きをつくる
井波彫刻の欄間づくりでは、木を切り抜き、表と裏の両側から彫って形をつくります。組合が紹介する工程を大きく分けると、次の流れです。
- 材料を整える:木を乾燥させ、使う大きさや厚さに切ります。
- 形を取り出す:下絵を木へ写し、不要な部分を切り取り、大きな形を彫ります。
- 奥行きと細部を仕上げる:表裏の位置を合わせ、形の違うノミを使い分けて細部へ進みます。
材料にはクス、ケヤキ、キリなどが使われます。組合は九州などからの仕入れも紹介しており、井波が山のふもとにあるからといって、すべてを近くの山の木で作るわけではありません。
小さな彫刻にも、つくる時間と売る難しさがある
井波の仕事は、大きな欄間や寺の彫刻だけではありません。花嶋彫刻工房の公式サイトには、表札や、犬・猫などを題材にした木彫りのレリーフも紹介されています。大きな建築の中から、住まいの身近な場所へ、技を使う場が広がっています。
ただ、小さくすれば仕事が楽になるわけでもありません。富山大学が2016年に刊行した調査報告では、八日町通りで制作・販売していた西村宜繁(にしむらのりしげ)さんの経験が記されています。
西村さんがストラップ彫刻を作り始めた理由は、井波を訪れた人に木彫りを持ち帰ってほしかったからでした。一方、買いやすい価格にすると、制作にかけられる時間は限られます。作り置きの在庫が必要でも、手で彫った品がすべて売れるとは限りません。
これは報告書の聞き取り当時の経験で、現在の価格や店の営業状況を示すものではありません。それでも、技を守る仕事には、何を彫るかに加えて、誰に、どのくらいの価格で届けるかという判断があることを教えてくれます。
見どころ
瑞泉寺では、建物全体から軒下の細部へ
瑞泉寺では、まず本堂や太子堂の全体を見てから、軒下の木彫りに目を向けると、建築と彫刻の関係をつかみやすくなります。
地域の案内が見どころとして挙げるのは、前川三四郎の作とされる山門の「雲水一疋龍」、番匠屋九代七左衛門による「獅子の子落とし」、太子堂の「手挟(たばさみ)」などです。手挟は軒下の部材で、瑞泉寺ではその部分にも彫刻が施されています。
2026年10月3日に確認した寺の案内では、拝観時間は9時〜16時30分、一般(高校生以上)の参拝志は500円です。法要なども行われるため、訪問前には寺の最新案内を確認してください。
通りでは看板を、展示室では使われる場所を見比べる
八日町・本町では、工房の外観や木彫りの看板に目を向けてみてください。通りから作品が見えても、作業場へ自由に入れるとは限りません。見学や撮影は、それぞれの工房の案内に従います。
門前の通りとは別の見学先として、北川にある井波彫刻総合会館もあります。組合の公式案内には、作品の展示販売に加え、座敷の中で欄間や衝立を見る和室が紹介されています。
- 寺の建物:彫刻が柱や軒など、どこに組み込まれているか。
- 通りの看板:文字と彫刻が、店を知らせる役目をどう分けているか。
- 和室の展示:欄間が、人の座る位置より上にあるとどう見えるか。
写真は2003年・2009年・2010年・2023年の記録です。2026年現在の外観や工房の営業を撮影したものではありません。
ほかの町との比較
城端と比べると、門前町を支えた仕事が見えてくる
井波と同じ南砺市にある城端(じょうはな)も、寺を中心に発展した町です。南砺市の文化財保存活用地域計画は、城端について、五箇山の養蚕を背景に絹織物を生産し、金沢や京都へ届けることで栄えたと説明しています。
| 比べる点 | 井波 | 城端 |
|---|---|---|
| 門前町の中心 | 井波別院瑞泉寺 | 城端別院善徳寺 |
| この記事で注目する仕事 | 寺の再建で学んだ技を、住宅や祭礼の彫刻にも使う | 五箇山の養蚕と結びつき、絹織物を作って町の外へ売る |
| 仕事と祭礼の関係 | 城端の曳山など、周辺の祭りの彫刻も手がける | 絹織物で栄えた町の祭礼として、曳山や庵屋台が受け継がれる |
ただし、井波は彫刻だけ、城端は織物だけ、と分け切ることはできません。市の計画には、井波でも絹織物が盛んだったことが記されています。
共通しているのは、寺があることに加えて、人や品物が町の外と行き来していたことです。井波の特徴は、寺を建て直すために学んだ技が、家の中や祭りの場へ広がり、いまも工房の仕事として続いている点にあります。
古い町並みと、そこで続いてきた暮らしや仕事に関心がある方は、今井町の町家と暮らしや、木曽平沢の漆器づくりと塗蔵もあわせてどうぞ。
この記事は公開資料と原表をもとに作成しました。現地・当事者への独自取材は行っていません。






